3.11 東日本大震災から9年。
2011.3.11
2週間後に岩手盛岡へ。
無我夢中だったあの日々。
2015 4年後
自社工場爆発 再建支援 3.11は九州出向
一生働くだろう思っていた本町オフィス閉鎖
2017 2年後
お気に入りの洋食屋で流れた黙祷のニュース
時計を見たら 3.11 2:46
明日津波が来るとしたら。
店を出て 決意の電話を。2週間後に退職。
そして3年後 2020 3.11 今に至る
普通に結婚して子供産むと思っていたのに
私の夢は専業主婦ですって
OL13年もしたのに
人生何があるかわからない。
たまたまNHK 震災特集を。
24人もの職員を亡くした
大槌町庁舎の職員の告白。
目の前で同僚が流されてしまった
9年もの間 誰も口を開かなかった真実
生かされてしまった人の負い目
やっと遺族が知った悲しすぎる真実
他の特集でも
17メートルの津波 屋上でギリギリ助かり
そのビルは私財で残している男性
3人の子供が流された夫婦
漁師に戻れなかった男性
被災地はまだまだ工事中
岩手県だけで四国4県の大きさ
津波かぶった距離は 大阪 東京間
何をもって復興が終わりなのかと。
震災2週間後に訪れた当時
何もない街で
カーナビから「踏切です」と音声が流れた
いったいどこに線路が
いったいどこに駅が
そもそも海はいったいどこだ?
4km先もの海はもちろん見えなくて
誰がこんなとこまで津波が、と
建物4階の窓が割れた団地
何千本もの松はいったいどこに?
日が沈んだ大船渡の街は 灯りひとつなく
車がズボズボと
地盤沈下の水たまりなのか 海なのか…
生きてることは奇跡
走れることも奇跡
歩けることも奇跡
父親は59歳で左半身半身不随に
一生を会社に捧げた
今頃母親とあちこち旅をしてるはずだった
仕事休めない
いつか退職したら
そんな常識と夢はガラガラと音をたてて崩れた
神様を恨んだ
UTMFを何か知らずに応援便乗した日から
どれだけの人に会ったんだろう
1000人は出逢った たくさんのご縁
大好きな仕事を手放した私は無敵だ
もう失うものは何もない
この3年 呼ばれるがままに
ご縁のままに
やりたいことをやり尽くしてきた
行きたいとこに行き尽くした
鏑木さん、六花先生、千葉さん
1時間半ものUTMF会見に涙した
誰よりもUTMFを愛していた人達の中止発表
悔しかろう
無念だろう
でもこの誠意ある会見に敬意しかない。
私にとってどれだけ大切だったかを
気づかせてくれた
皆みたく練習したり
1人で山行ったりしないから
トレラン好きなんかなぁと思っていたけど
トレイルランニングに出逢って
トレイルランナーで
皆と出会って良かった、と。
UTMFにエントリーしてない仲間も
この会見を視聴していて そう感じた
絶望で生きることさえ見失っていた私に
たくさんの感動と喜びを教えてくれた
知らなかった世界。
ご縁に感謝しかない。
私はもういつ人生が終わろうとも悔いはない
でもUTMFの皆の挑戦は楽しみだったし
でもこれからも皆で
トレイルランニングの文化を繋げていこう。
何よりこのコロナのもやもやな社会
今のこの不安さと絶望
それも知ってる。3年前の私。
でも3年収入なくても死ななかったよ
大丈夫
なんとかなる!
無責任でも言いたくなる 笑
サイアク裏の川でテン泊や!
水道もあるしトイレも無料!
日本はそれぐらい豊かで恵まれてる
爆弾も飛んでこない
不安なのは生きたいから。
失いたくないものがあるから。
大切な家族がいるから。
だからこそ
トイレットペーパーよりもマスクよりも
皆それぞれの毎日を生きて欲しい
10年前はスマホなんて考えられなかった
10年後は火星でトレランとかありうるよね 笑
先のことなんてわからない
でもわからない不安は必要ない
大切なのはワクワクすること。
ワクワクすることを選ぶ勇気。
2021これ皆で行きたいねぇ。
あの頃の私があるから今の私がある。
復興した街を走りたい。
今を生きよう
好きな人と泣いて笑って過ごそう。
もし明日で人生が終わりなら
あなたは今日 何をしますか?
今日も悔いのない1日を!
#311
#UTMF