ワクワクの法則٩(ˊᗜˋ*)و

明るい45歳独身女子無職ぷーたろー!なんと6年目突入。想いのままに。https://www.instagram.com/iguchika_2022/

→0016 子をつなげると書いて孫。

孫という文字は。

子がつながると書く。

 


桜の綺麗な夜に

叔母や、叔父やいとこ、姉やひ孫が見舞う中

そっと眠るように 

おばぁが息を引き取りました。

 


95歳と5日。

 


死に方は選べないと思っていたし

夜中に一人で、だってあり得ただろうに

 


少し外出した叔母 加代さんを待っていたんだろう

加代さんが戻って ものの10分もしないうちに

皆がじゃぁ明日ね、と去ろうとした時に。

 


もう目も開けれず喋れなくなっていたけど

今日もプリンひとつ食べたんだよ、と。

 


送られてきたおばぁの動画を見て

目 開いてるやん!

最後の力ちゃうの?胸騒ぎした私。

市内から和泉へは

どこでもドアが欲しかったけど

皆がいてくれて良かった

 


皆が仕事休まずに済む土日に 柴田家大集合。

 


涙涙はずの 喪主の挨拶は

ひとひねりきかしたジョークで大爆笑

 


終始 笑って喋って大騒ぎの一族に

井口の叔母達が 今まで

こんなに良かった葬儀はなかったと

 


いつの頃か 寝たきりになって

身体もあちこち痛々しくて

大阪マラソンの時にも危なかったけど

令和には惜しかったね

 


苦しまずホント良かった

 


ある日 骨になってしまったおばぁに

二十歳のチャラ男甥っ子や

JKな姪っ子や 

中学生なったばかりの甥っ子は←びびってたw

何を感じたんだろう

 


数年に数度しか会わないのに

仲の良すぎる大好きな いとこ達

遺伝子まんまの こども達が愛しすぎて

 


葬儀代やら花代やらが

カード払い出来ないことに焦る私たちw

時代は変わりゆくも

 


大正、昭和、平成と過ごし

満州、戦争、炭鉱閉山、

九州 八女星野村から

一家で身寄りもない大阪へ移住

 


器用で神的存在だったというおじぃ

私はおじぃちゃんの野菜で育った

 


私が高校生の時になくなったおじぃと

破天荒なおばぁの波乱万丈な人生

はじめて聞く話もはじめてで

 


子孫というものは 

子とその子でつなげてるもんなんだと

 


孫9人 ひ孫11人

 


おばぁはそれだけで凄い

 


そんな叔父の話を 

おばぁのそばで夜通し聞くはずが子守唄にw

 


結婚したい

結婚しなければならない 

義務でもなく 観念でもなく

人という生き物として

結婚や子孫繁栄について

自分がどうありたいかを考えさせられた夜でした

 


それにしても

母さん達こども4人が個性的で

明るい家系だとは思っていたけど

 


こんなに笑って騒いで過ごして

おばぁも一緒に喜んでくれたでしょう

 


あら、智香ちゃんね

 


あのおばぁの声が大好きでした

 


母さん達は相当苦労したみたいだけど

孫にはたくさんの愛情をくれたおばぁ。

 


裕福ではなかった時代を過ごしたけど

たくさんの孫ひ孫に囲まれて

幸せだったならいいな

 


駆けつけた時の まだ温かかった肌のぬくもりと

あの笑顔とお茶目な声を 一生覚えていよう

 


おばぁちゃん

95年おつかれさまでした

 


大切な繋がりをありがとうね(ˊᗜˋ*)♡

 


#感謝

 

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